いつも当ブログをご訪問頂き、ありがたく御礼を申し上げます。
私のBトレと並ぶもう一つの趣味は「パンダ鑑賞」、という事を今初めて知ったという方もいらっしゃるかもしれません。
上野動物園の双子赤ちゃんパンダ「シャオシャオ」「レイレイ」はTVでも取り上げられて有名ですが、和歌山にあるアドベンチャーワールドには現在7頭のパンダが居ます。
その末っ子「楓浜(ふうひん)」は今までお母さんパンダと一緒に暮らしていたのですが、4月上旬にとうとう独り立ち、という知らせが届きました。
パンダは群れを作らない動物ですので、子パンダは1~1歳半くらいで親離れをします。
たまにアドベンチャーワールドを訪れては、お母さんパンダ「良浜(らうひん)」にもみくちゃにされて、まるでうどん生地の様にこねられている楓浜の姿をほほえましく鑑賞していたのですが、もう見られなくなります。
まん防も明けたので、親子一緒の最後の姿が見に行ければいいなあと思っています。
記事末尾でこねられる楓浜の姿の画像をお付けしておりますので併せてご鑑賞いただければ幸いです。
本日のご紹介は独り立ちする楓浜の姿になぞらえて、単機で頑張るこちらの車両のBトレインショーティーでございます。JR西日本 キハ120形気動車 美祢線色 です。
みねせん、と読みます。
残念ながら私は乗車経験もなく、Bトレを手に取るまでは美祢線の事を考えたこともありませんでした。
美祢線は山口県の西部を南北にぶち抜くように敷設されていて、日本海側の長門市駅と、瀬戸内側の厚狭駅を結んでいます。
もともとは美祢市にある「大嶺炭田」から取れる石炭を瀬戸内側へ運ぶために建設されました。
大嶺炭田は日本有数の無煙炭の産地として栄え、かつては新一万円札の人、渋沢栄一も経営に関与していたとの事ですが、いろいろ問題も抱えていました。
大嶺炭田は大規模な炭田ではあるものの、山地の奥深くにあり、採鉱した石炭を運び出すことが困難だったのです。
そうこうしているうちに日露戦争が勃発。海軍が大嶺炭田の無煙炭を練炭に加工することで、輸入に頼っていた練炭を国産化するプランを思いつきます。
そのため、大嶺炭田から、練炭製造所が置かれた徳山まで無煙炭を運び出すために引かれたのがこの美祢線の前身です。
激しく蛇行する厚狭川を何度も渡っては戻るルートとなり難工事だったそうですが、戦時という事もあり、突貫工事で約1年で完成させます。
やがて長門市側の路線も建設され、南北を結ぶ線が出来上がりました。
こういった出自故に、旅客輸送よりも貨物輸送の方が盛んで、美祢線の旅客輸送量に似つかわしくない長大な信号場も設けられていたそうです。
昭和に入っても、石炭、石灰石の輸送が盛んでした。
しかし、時代が進むにつれ炭田の枯渇が顕著になり、次々と鉱山の閉山が増えてきます。
そうなってからも宇部興産の石灰石採集場から宇部のセメント工場までの石灰石輸送は堅調だったのですが、宇部興産は美祢市から宇部市までの間に、世にも珍しい自社の輸送専用道路を開通させてしまいます。
一説には国鉄時代の運賃の度重なる値上げや、ストライキの頻発に嫌気がさしての事と聞き及びましたが、だったら自分で作ってしまえ、と言って本当にやってしまうのはすごい事です。
この影響は大きく、ドル箱だった貨物輸送も2014年に終了してしまいました。
残った路線をのんびり走るのがこのキハ120形です。
いつの日か、こういった歴史に触れながら、のんびりとキハ120形に揺られて、全線踏破する夢を妄想しながら、この記事を閉じたいと思います。
**********************
【お母さんパンダの良浜にこねられる楓浜】
【たまに逆襲に出ますが】
【返り討ち(笑)】
↑↑ご紹介済み車両をまとめた索引ページを設けました↑↑
ご紹介順にたどりたい方はこちらから~百々怒涛のブログ~鉄道コム