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上野動物園の双子赤ちゃんパンダの名前が決まりました。「暁暁(シャオシャオ)」と「蕾蕾(レイレイ)」だそうで、予定されている来年の公開が楽しみです。
一方で、中国への返還が決まっているお姉さんパンダの「シャンシャン」ですが、緊急事態が明けて公開が再開されていますが、なんと「撮影禁止」なのだそうです。
たまに行く白浜でお会いするパン友さんにお聞きしたのですが、首都にあり、アクセスが良く、入園料もリーズナブルな上野のパンダファンの数は相当なもので、ライバルや他の入園者がいる中で、良い写真や動画を撮りたいが故の「ピリピリ感」がある、と仰っていました。
何かトラブルや苦情があったのかな、とついつい邪推してしまいます。
似たような話は撮り鉄さんにもあり、一部のファンの行き過ぎで、撮影禁止等の場所も増えているとか。
好きが故の事とは思うのですが、贔屓の引き倒しになってしまっては元も子もありません。
浅草キッドの水道橋博士はプロレスライターのターザン山本氏の言葉をもじってこのように語っていました。
『プロレスについてしか知らない人は、プロレスについて何も知らない。』
好きなものを一方向からだけ見つめていたのでは、いつまでたっても平面的にしか物事を捕らえられないのかもしれません。
物事に熱中するエネルギーは珍重すべきものだと思いますが、そのことだけに特化して突き抜けてしまうと、他の人との共感を得られるレベルを超えてしまいます。
興味の視野を少し広げて、色んなことに関心を持つことができれば、好きなものを多面的にとらえられると同時に、自分の事も客観視できるのでは?と思います。
こういった『濃い』方はほんの一握りなので、圧倒的多数の方には釈迦に説法だったかと思います。
人様のことをとやかく言えない程自分を客観視できていないレベルの収集癖を持つ濃いBトレファンの当ブログ管理人が、本日ご紹介するのはこちらの車両のBトレインショーティーでございます。長野電鉄 2000系 マルーン塗装 です。
長野電鉄のオリジナル車両で、長らく長野電鉄のフラグシップ車両として活躍しました。
登場は1957年といいますから、60年以上前という事になります。
終戦後から、志賀高原への観光輸送を一手に担っていた長野電鉄ですが、吊掛駆動、ロングシートの車両が主流だったため観光輸送には不向きな状態が続いていました。
そこで、新型特急車両として登場したのがこの2000系です。
先に登場した名鉄5000系をベースとし、当時の最先端の技術が盛り込まれた意欲的な車両でしたが、詳細は別の機会に譲りたいと思います。
当時の流行だった非貫通2枚窓のいわゆる湘南スタイルのお顔がたまりません。
長野電鉄2000系と言えば赤とクリーム色のいわゆる「りんご塗装」が有名です。
このマルーン塗装は登場時の姿を再現しています。
のちに2000系でマルーンのリバイバル塗装が行われましたが、画像を見ると阪急マルーンよりも深いこげ茶色のような色合いの車両でした。
登場時の塗装はもっと赤みが強かった、との事で、このBトレと近い色合いだったのかもしれませんが、確認する画像は見つけきれませんでした。
この色合いを見ていると、近鉄800系を彷彿とさせます。
製造社は違いますが、登場時期も近く、セミモノコック構造・湘南スタイル等の相似点も多いので、親近感を感じます。
近鉄800系はBトレ化しませんでしたので、昔の近鉄の再現シーンの端っこにしれっとこのマルーンの長電2000系を置いておきたくなります。
このマルーンの車体は、あまり期間が長くはなかったようで、2000系4編成製造のうち、3編成までに施され、4編成目は落成時から窓周りがクリーム色だったそうです。
その後2000系は、りんご塗装を経て、クリーム地に赤帯という姿に変わりました。
しかし、前述致しました通り、2000系50周年となる2007年に、復刻リバイバル塗装としてこのマルーンの2000系が蘇りました。
個人的には2000系はりんご塗装のイメージが強いのですが、このマルーン塗装もなかなか乙なモノです。
2011年にはすべての運用から離脱し、その長い歴史に幕を閉じました。
4編成のうち3編成は解体されたそうですが、残る1編成(D編成)が小布施駅構内の「ながでん電車のひろば」に保存・展示がなされているそうです。
昭和の名車の一つと言ってもよい長野電鉄2000系。
その登場時のマルーン色の姿をBトレで追いながら、他社線に譲渡されることなく長野電鉄一筋に活躍したその歴史に触れてみたいと思います。
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