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梅雨らしい天気が続いています。
またひとしきり 午前の雨が
菖蒲のいろの みどりいろ
眼うるめる 面長き女
たちあらわれて 消えてゆく
たちあらわれて 消えゆけば
うれいに沈み しとしとと
畠の上に 落ちている
はてしもしれず 落ちている
お太鼓叩いて 笛吹いて
あどけない子が 日曜日
畳の上で 遊びます
お太鼓叩いて 笛吹いて
遊んでいれば 雨が降る
櫺子の外に 雨が降る
中原中也「在りし日の歌」にある「六月の雨」です。
前半は女性の幻影が現れては消えてゆく様が、匂い立つ様な土や草の香りと湿気を帯びた重い空気感と共に表されています。
しかし後半は家の中で幼な子がきゃっきゃ言いながら遊んでいる様子が浮かび、中也も微笑みながらその様を眺めているのが見えてきます。
窓の外の憂いの世界と家の中の幼な子の笑う様が、また幻の世界と現実とが、「櫺子(れんじ)」と呼ばれる格子戸のようなものですっぱりと隔てられているように思います。
悩みや憂鬱な気持ちを外の暗い雨降りの様子とリンクさせどんよりしているところを、子供の笑い声でふと引き戻される。雨の多い六月は、兎角心が浮いたり沈んだりしやすいのかも知れません。
本日は、どんよりとした曇り空な気持ちを、一気にハワイアンにしてくれそうな「アロハ特急」のご紹介です。
(阪急電鉄のBトレはこちらからどうぞ。)
なんだこの色は!これが阪急電車か! というのが正直な感想です。
800系は1949年に登場した車両で、登場時は戦時体制で現在の京阪電鉄と強制的に合併した「京阪神急行電鉄」の車両として登場しました。
終戦後の1949年12月にまた京阪と阪急に分離するのですが、その際に京阪が心血を注いで建設した新京阪線(現在の阪急京都線)は阪急側に持っていかれてしまいます。
このあたりのゴタゴタは興味深い話なのですが、そのお話は新京阪鉄道の車両として製造された阪急デイ100形のBトレをご紹介できる時に譲りたいと思います。
このように阪急の神戸・宝塚線と京都線は出自が異なるため、現在でも車両の規格が異なります。
この800系が登場した登場したころは、架線の電圧に違い(神宝線600V・京都線1500V)がありました。
1949年に登場した800形の一部は、京都線にも入線できるよう複電圧車として製造され、京阪神急行の分社2日後には神戸-京都間の直通特急の運用が開始されました。
新たな阪急電鉄の船出として、新たに阪急の路線となった京都線との直通運転に象徴的意味を持たせたかったのかもしれません。
そんな折、1950年3月から阪急西宮球場(現在は阪急西宮ガーデンズというショッピングモールになっています)にて「アメリカ博覧会」が開催されることになりました。
戦後初めて開催された大規模な国際博覧会で、約3か月弱の開催期間中に200万人もの人が訪れたそうです。
沿線での一大イベントの開催に、阪急もがっつり乗っかるために、京神間を走る800形にアメリカ博覧会の宣伝のため、専用塗装が施されました。
それがこの「アメリカ博塗装」ということだそうです。
阪急電車といえば伝統の阪急マルーン。他の電鉄会社が車両のイメージカラーを時代に合わせて変更させている中、かたくなに阪急マルーンを変えない姿勢を貫いてきました。
東の京急と西の阪急は車両のカラーリングを大きく変えないことで、そのブランドイメージを作ってきていると言えるかと思います。
ただ、京急はブルー、イエロー、ステンレス地等、多少遊び心が加わっているのに対し、阪急ではラッピング車両はあれど車体の地色を変えることはありませんでした。
伝統を重んじる阪急の慎重居士とも言える姿勢がうかがえます。
その阪急の歴史の中で唯一の例外ともいえるこの姿は「アロハ特急」等と呼ばれましたが、目に眩しい阪急電車というのはどうしてもしっくりこない感じです。
この後、こういった車両が現れなかったことを考えると、ある意味とても貴重な姿だと思います。
最後に、博覧会終了と同時に、速攻で元の阪急マルーン色に戻されたという、いかにも阪急っぽいエピソードをご紹介してこの記事を締めたいと思います。
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