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京阪神急行B支線

百々怒涛(どどどとー) と申します。関西モノを中心に色々なBトレインショーティーを収集しています。鉄道趣味の中でもニッチな沼に肩まで浸っております。図鑑的にご覧頂ければ幸いです。

百々怒涛の異常な愛情-または私は如何にして心配するのを止めてBトレとパンダを愛するようになったか

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

に参加してみようと思います。

プロローグ

先に申し上げておきますが、今回は非Bトレ記事ですので、悪しからずご了承ください。f:id:dododotoh:20211108210307j:plain内容もダークなので、所々パンダ画像を挟んで、少しでもマイルドになればと思います。

私は、自分自身のことを語ることはあまり得意ではありません。

そういうこともあってか、過去一度もはてなブログのお題、というものでブログをアップしたことはなかったのですが、この10年、という考えさせられるお題であったので、スタンリー・キューブリック監督の映画タイトルになぞらえて、筆を、ではなくキーボードを執ってみようと思った次第です。

この手の内容は、通常記事とテイストが異なりすぎるので、バランス上記事を削除してしまうかもしれません。その時はお許し下さいませ。

f:id:dododotoh:20211108210253j:plainこの10年間でどっぷりとBトレとパンダの沼に漬かるようになったわけですが、この異常とも呼べる執着の根底はちょうど10年前くらいにあるような気がします。

私は自分で自分自身のことを勝手に世間一般でいう「普通の人」だと思っていました。

10年以上前の私は、そういう意識もあってか、普通であらねばならないと思い、自分の心をだましだまししながら普通の人と普通のお付き合いをし、普通の世間に溶け込もうと必死でした。

しかし、どうにもしっくりいきませんでした。

中島らもの表現をお借りすると「プールの底にあと数センチ足が届かないような」息苦しさを感じていたのです。f:id:dododotoh:20211108211809j:plainある時、無自覚なまま心に無理をさせていたのがたたったのか、心身のバランスがどこかでおかしくなってしまいました。

当時、日々の記録をつけていたのですが、自分のふがいなさを呪う呪詛が延々綴られた恨み言帖と化しており、とても読み返せない内容でした。

そうしているうちに先に体の方が悲鳴を上げてしまい、入院手術を経験する羽目になりました。

何とか娑婆には戻って来られたものの、その後に東日本大震災が発生しました。

何も悪いことしてない普通の方々が、大自然の脅威の前でとてつもない苦難を背負われているのを見て、人は何のために生きるのか、自分は何のために生きているのか、自分でもよくわからなくなっていました。

そんな時よく聴いていた唄がありました。

大槻ケンヂのカバーアルバム「ONLY YOU」に収録された「もうがまんできない」という曲です。もともとはJAGATARAというバンドの非常に長尺の曲で、江戸アケミの歌詞が印象的な曲です。

「もうがまんできない」

作詞:江戸アケミ

 

ちょっとのひずみなら

何とかやれる

ちょっとのひずみならば

がまん次第で何とかやれる

日々の暮らしには辛抱が

大切だから

心のもちようさ

 

ちょっとの裏切りなら

水に流せる

ちょっとの裏切りならば

水に流してしまおう

人の愛には打算が

いつもついてまわるものさ

心のもちようさ

 

ちょっとの甘い罠には

はめられもする

ちょっとの甘い罠には

軽くはまってみせる

弱いヤツラのおつむにゃ

せこさかげんがちょうどさ

心のもちようさ

 

ちょっとの搾取なら

がまんできる

ちょっとの搾取ならば

誰だってそりゃあがまんできるさ

それがちょっとの搾取ならば

心のもちようさ 心のもちようさ

心のもちようさ 心のもちようさ

心のもちようさ 心のもちようさ

心のもちようさ 心のもちようさ

f:id:dododotoh:20211108210502j:plain「心のもちようさ」というリフレインでかき消そうとしながらも、タイトルにしか存在しない歌詞「もうがまんできない」という心の叫びが聞こえてきそうな曲で、当時の自分の心持ちにすっぽりはまり込む曲でした。

初めてこの曲を聴いた時には「心のもちようさ」という言葉を、何か甘い言葉で自分の心を塗り固めて、無理やり世間標準という型に押し込んでしまう様な、マイナスの言葉の様に感じましたが、この曲を聴き続けてゆくうち、自分を取り囲む全てを呪ったところで何も変わらないのであれば、今変えることができるのは自分の「心のもちよう」なのではないか?と思うようになりました。

そこで、これ以上自分で自分が嫌いにならないようにするために、「心のもちよう」を変える決意をすることにしたのです。その決意を「価値基準の内在化」と銘打つことにしました。

価値基準の内在化

f:id:dododotoh:20211108211829j:plain自分の幸せを測るモノサシともいえる、価値の基準を自分の外側にあるものに置き、人と比べることでしか価値を見いだせない日々を過ごすことで、いつまでも心の充足感に遠く届かなかったことに思いが至り、自分の価値基準を、肩書だとか、交友関係の広さだとか、持っているモノの善し悪しだとかに置くことから、自分が楽しいと感じられるかどうか、を根本に価値の基準を自分の内側に置くようにしました。

先に申し上げておきますが、こうすることで自身の社会的な成功とか、名誉や栄達といったことからは確実に縁遠くなりますので、全ての方にお勧めするわけではありません。

また、価値基準のうち「マナー」や「迷惑」「デリカシー」といったパラメータは自分を客観視できるよう最後まで外に置いておかなければなりません。こちらを内在化させるとただの迷惑な人になってしまいます

何か今の自分は「無理をしている」という自覚があるのに、その無理を止めるに止められず続けてしまっている方に向けて、具体的にどのように「心のもちよう」を変えたのかを、代表的な3点にまとめてお話ししたいと思います。

1.楽しくないのに無理やり続けていたお付き合いをやめる

f:id:dododotoh:20211108210444j:plainこう言うとコミュニケーション拒否、と思われるかもしれませんが、そこまで激しいものではありません。

当時、今の自分ではない自分になろうとして、いろんな人との交友を保つためだけを目的にして続けていた趣味を止める決断をしました。

ご飯を食べながらバカ話をするのは好きなのですが、あまり好きでもないスポーツの道具を揃えたり、心の底から楽しいと思いきれなかったアウトドアレジャーに休日を潰したり、といったことから十分距離を置くようにしました。

もちろん、楽しいと思えれば私としてもその方が良かったのですが、もともとインドアで内向的な性格の私はいつまでたっても楽しいと思えなかったのです。

こういったお付き合いから離れるにはかなりの勇気が必要でしたが、入院手術、というちょうど区切れそうな出来事があったため、それを機に皆様に辞退を申し込むようにしました。

但し、こうするときに一つ気を付けていたことは、『他の人の「好き」を否定しない』ことでした。

こういった世間のマジョリティーの世界から距離を置くことを決断したのですが、だからと言ってその趣味を楽しく続けている人たちのことを決して悪く言ってはいけませんし、意図せずともそう聞こえてしまわないように注意は必要だと思います。

端的に言えば自分が言われてイヤなことは人には言わない、という事かと思います。

自分の能力や性格のパラメーターを見極めて、世間的な「普通」に合わせられないところはすっぱりあきらめ、自分を追い込むように時間とお金をつぎ込んでいたことを止めると、不思議と心に余裕が出てきました。

そうして本当に楽しいと思えることを求めるうちに、一度は距離を置いていた鉄道趣味の世界に、また舞い戻ってくることとなったのです。

2.やると決めたことは本当に実行してみる

f:id:dododotoh:20211108210552j:plain当たり前じゃん、と思われるかもしれませんが、私にとっては、心がマイナスに向くと意外とできない事だったのです。

価値の基準が自分の外側にあると、どうしても他者の評価が気になってしまいます。

私の場合は、だんだんと劣等感に苛まれ、どうして自分は普通にできないのだろうと感じるようになってしまいました。

また、人の目を気にするあまり、格好をつけて、できもしなことまで引き受けてしまうこともありました。

そうして、しなくてはいけない事は目の前に山積みになるのですが、人の目が気になると、失敗するのが恐ろしくなってきて、しなくてはいけない事に取り組むことに対して逃げ腰になってしまっていました。

こうしてだんだん負のスパイラルに巻き込まれ、最悪の場合 人と会うことすらしんどくなってしまいます。

「価値基準の内在化」は、自分にとってこの状況を打開するために必要なことでした。

具体的には、まず逆に自分の心の内を客観的に見ることを心掛けていました。

人の目を気にするのではなく、自分が今やっていることは、本当に必要なことなのか?本当はどうしたいのか?を考えました。

具体的は、しないといけない事/しなくてもいい事、と やりたい事/やりたくない事、に物事を分けて見ることを心掛けています。簡単な図ですが、こんな感じです。f:id:dododotoh:20211110183013p:plain『やらなければならないし、やりたい事』は、大いにやればよいですし、『やらなくてもいいし、やりたくない事』はやらなければよい、と至極単純ですが、残りの二つは厄介です。

『やらなければならない事だが、やりたくない事』 これは世の中の勉強や仕事のほぼ全てがここに当てはまります。

価値基準が外にある時には、自分に本当にできるのか?と思うと失敗が怖くて「どうせやっても無駄」とか「今はその時期じゃない」とか自分の心にバイアスをかけて、その領域にある「やらなければならない事」から徐々に逃げ腰になってしまっていました。

ここに何とかメスを入れないと自分は変わらないと思い、どうすれば前向きにとらえることができるかを考えました。

まず、『やらなければならない事だが、やりたくない事』の中から、「自分でできるかもしれないのにイヤだからやりたくない事」と「本当に自分にはできない事」を見極めて、きっちり分け、できない事は「できない」と周囲に伝え、助けを求めるようにしました。f:id:dododotoh:20211110183023p:plainこうすることで、自分が全てから逃げているわけではなく、本当にできない事はできないと分けて宣言する事で、残った部分の「自分の逃げ」としっかり向き合おうと思うようになりました。

そうして、やらなければならないがやりたくない事に対して、自分のできることを考え抜いた上で、この項のタイトル通り「やると決めて本当に実行する」と決めて、行動しました。

但し、逃げることそのものは否定しませんでした。

逃げる時は、やると決めて本当に実行した後「やっぱりダメでした」という結果を携えてから逃げよう、と心のもちようを変えました。

逃げることに対して、ただ逃げたのではないと肯定的に受け止めることができるようになり、自分で自分を嫌いにならずに済むようになれたと思います。

こうすることで「やらなくてもいい事だがやりたい事」=趣味の世界に現を抜かすことにも、イヤなことに背を向けて逃げ込んでいるような後ろめたさを感じずに済むようになったと思います。

3.自分がコントロールできないことにこだわらない

f:id:dododotoh:20211108210356j:plain世の中には自分の力ではどうにもならないことがたくさんあります。多すぎると言っても過言ではないでしょう。

もう今更どうすることもできないのに、過去の失敗をいつまでもくよくよ悩んだりとか、都合の悪いお願いをしなければならない時に、相手の悪い反応を想像しては「こう言われたらどうしよう」「嫌われたらどうしよう」と、まだ起こっても居ない事象に気をもんだり、とかく悩みの多い日々を送っていました。

価値基準が自分の外にあると、どうしても「カッコ悪い」「恥をかいた」という事が許せなくなり、だんだんと自分で自分のことが嫌いになってしまいます。

無益なシミュレーションを繰り返して深みにはまってしまっていた自分に、もう一度自分には何ができて何ができないのかを問い直してみました。f:id:dododotoh:20211108210515j:plainいろいろ考えた挙句、自分でコントロールができないことをどうこう悩んだところで、何の解決にもならない、という事に思いが至りました。

いっそのこと、自分でコントロールができないことにこだわらない!と、決めてしまえば、残った部分は「自分がベストを尽くすべき領域」として浮かび上がるようになりました。

ベストを尽くすべき領域についても、結果=自分の外にある価値だけで自分を評価するのではなく、第2項で申し上げた、「やると決めたことは本当にやる」を愚直に実行できたかどうかで、自分の心の満足度を測るようにしました。

エピローグ

f:id:dododotoh:20211108210301j:plainこうして、なかなか自分で自分を好きになれなかった私が「心配することを止め」「Bトレとパンダを愛する」ような生活を、肯定的に受け止めることができるようになりました。

楽しいことをフルスイングで楽しむことで、やらなきゃいけないイヤなこととも向き合えるようになれたと思います。f:id:dododotoh:20211108210417j:plainほとんどの方には必要のないお話だったかと思いますが、もしも自分で自分自身のことが嫌いでしょうがなく思えてきた時には、少しでもこのことを思い出して頂ければ幸いです。

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