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今週末はハロウィン&選挙。
コロナのせいかどちらも盛り上がりに欠けるような感じですが、私自身ハロウィンで盛り上がることは無くても、選挙にはいこうと思います。
また今週はプロ野球がセパ共に決着。両リーグとも2年連続最下位だったチームが優勝するという大どんでん返しの結果となりました。
両チームとも決して戦力的に恵まれていたわけでは無かったと思うのですが、主力のスーパーヒーロー一本頼みではなく、誰かが悪い、あるいはけがで離脱した時に、ちゃんと穴を埋める選手が現れていたように思います。
こういう選手を見極めて起用できるところが、指揮官の慧眼と言えるのかもしれません。
本日のご紹介は、普段の通勤輸送で手一杯な中、イベント事など急な多客対応・団体輸送が必要となった際に、その穴を埋めるべく颯爽と救援に現れたこちらの車両のBトレインショーティーでございます。国鉄/JR東日本 12系客車 高崎車両センター所属車 です。12系客車と言えば団体列車のイメージです。登場は1969年(昭和44年)といいますから、そろそろ旅客輸送の中心は客車列車から電車・気動車化へ進んでいっている頃かと思います。その時期に敢えて寝台車でもない座席客車が新造された事は意外に感じます。簡単に言えば、12系は元から「波動輸送」という、定期列車とは別の団体・臨時列車を念頭に製造されたから、というのが答えのようです。多客時にしか稼働せず、普段は車庫で休んでいることが多い「波動輸送」車両のため、電車や気動車で製造してしまうと、動かしていなくてもメンテナンスに手間とお金をかける必要が出てきます。そのため、敢えて客車で製造されたそうです。また、冷房装置を搭載した車両として製造されたため、波動輸送だけでなく戦前生まれの旧型客車での運用が残っていた一部の列車にも充当されたそうです。冷房用の電源も客車側に持っていたため、牽引する機関車を選ばないことも特徴でした。客車として初めて自動ドアを搭載し、電車・気動車と遜色のない接客レベルを持つ車両となっています。
このBトレは、現在でも高崎車両センターに原形のまま6両だけ残る車体を再現しています。白帯が客室扉には施されていないパターンの車両になります。特徴なのは緩急車スハフ12―161、162の後ろの窓で、初期車とは異なり縦に細長い形をしております。3次増備車というカテゴリーとの事で、当時同じく量産されていた50系客車と設計を共通化させたことの名残だそうです。波動輸送や旧型客車の置き換えに活躍した12系客車ですが、客車列車の衰亡と共に一気に数を減らしてゆきます。余剰となった車両の中には、ジョイフルトレイン等に改造されたものも多くありました。原形をとどめているものは、JR西日本の「SL北びわこ号」用の6両と、このBトレのモデルとなったJR東日本の高崎車両センターに残る6両のみとなりました。「SL北びわこ号」は、12系客車の部品確保の困難さや、維持費の高騰などから本年運行終了が発表されましたので、JR西日本の12系の行く末が心配な状況です。残るJR東日本の高崎車両センター所属車も、原形をとどめる非常に貴重な機体ではあるものの、今後の動向に目が離せません。Bトレ12系を眺めながら、一日でも長く、昭和の「青い客車」を楽しめるよう祈りを込めたいと思います。
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