京阪神急行B支線

百々怒涛(どどどとー) と申します。関西モノを中心に色々なBトレを集めております。えげつない日常の中、密かな趣味と共に、細く短く生きてます。

京阪電気鉄道 60型 晩年時

いつも当ブログをご訪問を頂きましてありがとうございます。

先日東日本大震災から9年が経ちました。とはいえ復興まだまだ道半ば。避難先からの帰還もままならない方がまだたくさんおられることに現実の厳しさを感じます。

道のりは遠くても一歩一歩進むしかない状況ですが、本日震災以降分断されていたJR常磐線が全線開通となるなど、少しずつでも状況は変化しています。

後は私自身も含めて震災の記憶を風化させず、支援の手を切らさないことが大事だと感じます。

本日は常磐線車両では無いですが、常磐線の全線開通を応援する意味で、大昔 関西において「全線運転」を成し遂げた珍しい車両のBトレインショーティーをご紹介致します。

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京阪電気鉄道 60型 晩年時 です。

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1934年(昭和9年)に大阪天満橋から浜大津を結ぶ「びわこ号」用に登場した車両で、とてもオリジナリティにあふれた風貌をしています。

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連接構造と呼ばれる、車両と車両の間に台車を配置する構造と、裾の長さの違う2種類の扉が大きな特徴で、Bトレ化に際してもその特徴が損なわれていないと感じます。

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長さの違う2種類の扉は、高床ホーム用、低床ホーム用としてそれぞれ設けられていました。

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ホームの高さが違う2種の扉を持つ理由が、「大阪の高速鉄道区間から大津の路面区間を直通で結ぶため」でした。

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インターアーバンと呼ばれる、市街地は路面の併用軌道、郊外区間では専用軌道を走る、という鉄道のあり方の一つで、名鉄岐阜市内線なんかもこのような路線でした。

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しかし、京阪60型の登場の背景には、ニーズにこたえるというよりもっと政治的な思惑があったようです。

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現在の京阪京津線石山坂本線は元は京阪とは別会社で、路面電車規格で建設された鉄道区間を昭和初期までに京阪が買収したものでした。

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京阪の大阪側ターミナルが長らく天満橋に留め置かれ、大阪市内中心部への延伸が京阪の悲願であったことは有名な話ですが、実は当時の京都側ターミナルの三条駅にもいろんなドラマがありました。

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京阪の京都側路線は当初は五条駅がターミナル、その後三条へ延伸しますが、五条駅手前の七条付近の塩小路から三条駅までの鉄道敷設は、もともと京都市電が免許を持っており、その免許を借り受ける形でようやく京阪が京都の中心地へ足を延ばすことができました。

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その免許を借り受ける際の条件が、琵琶湖連絡を目的とした京津線との連絡を円滑に行う事でした。

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もう少し紆余曲折はあるものの、ざっくり言うと、京都中心地ターミナルである三条駅を確保し続けるためには、京都市からの免許借り受けの契約更新を行う必要があり、そのためには京阪本線京津線との直通運転は必須だった、という背景になるようです。

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しかし、大阪-三条間の京阪本線高速鉄道規格で建設されたものの、三条-大津間は、電圧と軌間と呼ばれる線路の幅こそ京阪本線と同じでしたが、路面区間が続く規格の低い路線で、その間を直通で列車を運用することは容易なことではありませんでした。

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その難題に立ち向かうべく製造されたのがこの京阪60型です。

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路面区間、鉄道専用軌道区間を直通させるために高さの違うドアを備え、集電装置もパンタグラフ・ポール集電の2種を備えました。

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また、急カーブにも対応できる様、日本で初めて連接構造の車体が採用されたのも目を見張るトピックです。

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前面も流線型デザインが採用され、登場時(1934年)としてはとても意欲的な車両と言えたかと思います。

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登場時は黄色とクリーム色の塗分けでしたが、晩年時にはこのBトレのような京阪特急色を纏いました。

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特徴を生かした大津―大阪の直通運転は戦争期を迎え途絶え、戦後は主に京津線内の運用に就き、直通運用は臨時列車としての不定期運用となってしまったようです。

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1970年に運用を離脱。700系(2代)へ台車などを転用したため解体されてしまいました。

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3編成製造されたうち、車体と連接部の中間台車が辛うじて残っていた63号機が、復元されて寝屋川車庫に保存されているそうです。

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日本の車両史のエポックメイキングな車両だった京阪60型。

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その特徴的な車体を眺めつつ、よくぞこの車両をBトレ化してくれた、とメーカー製作陣の方々に賛辞を贈りたいと思います。

宜しければバックナンバーもこちらからご覧くださいませ。

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