いつも当ブログをご訪問頂きましてありがとうございます。
先日の4連休はコロナ自粛疲れの影響かどこもえらい人出だったそうです。
観光や外食を生業とされている方には干天の慈雨となったかもしれません。
と言ってるうちに阪神タイガースでクラスター発生…。気を引き締めねばなりませんね。
この週末のトピックでは、明日「半沢直樹」が最終回を迎えます。
後半戦は柄本明さんの個性が強烈すぎて独壇場と化しており、「箕部しか勝たん」などと称賛?されている感想も目にします。
目の前でこんなん言われたら、そら玉縮むわ、と思わせるほどの迫力。
この週末はテレビの前に正座して箕部幹事長の咆哮と「千倍返され」を見届けたいと思います。
本日は、砂丘コナン空港や鬼太郎空港は幹事長とか関係ないのかしら?と思いつつ、こちらの車両のBトレインショーティーをご紹介したいと思います。
砂丘色?というと砂漠のような黄土色をイメージしますが、こちらはずいぶんと明るい色合いです。
キハ58形気動車は、国鉄時代の1961年に急行型気動車の決定版として登場し、幹線・ローカル線を問わず投入され、全国に気動車急行網を築き上げました。
キハ58形の功績はまたの機会とさせていただきますが、今回はこの「砂丘色」のキハ58形のご紹介です。
砂丘色と呼ばれるいわれは、岡山-鳥取間を走る急行「砂丘」号に由来します。
急行「砂丘」は津山線・因美線を経由し、山陽―山陰間を結ぶいわゆる「陰陽連絡列車」として一定の需要のある列車でした。
山陽新幹線開通後も岡山から鳥取へ向かう乗客を取込み。全国的に急行列車が衰退する中運行が続けられました。
1991年に急行「砂丘」に充当されるキハ58形に延命化改造の工事が施されました。
その際に洗面所・トイレなどをリニューアルし、当時廃車が進んでいた0系新幹線から出たリクライニングシートを再利用して交換する等、接客設備についても改良が施されました。
この改造を受けた急行「砂丘」用車両に、従来の国鉄色とは違う明るい色合いの塗装が施されました。
その塗色が今回ご紹介する「砂丘色」となります。
改造車はキハ58形7200番台を名乗り、陰陽連絡の任に就いておりました。
本当は中間に「キロハ28」という半室グリーン車を挟んでいたそうで、Bトレ化もされているのですが、未入手の為このような表現でお許しください。
珍しく長く残存した昼間急行列車でしたが、順調な運用は長く続きませんでした。
1994年に「智頭急行」が開通、高規格な路線で高速運転が可能となりました。
津山線・因美線の線形ではこれ以上の時間短縮は望むべくもなく、陰陽連絡の花形は智頭急行ルートに移ってしまいます。
1997年、ついに岡山―鳥取間の輸送には智頭急行経由の特急「いなば」が設定され、急行「砂丘」は廃止となってしまいました。
その後、陰陽連絡ルートから外れてしまった津山市の要望で、急行「砂丘」のうち一往復が急行「つやま」として残存、この砂丘色のキハ58形も用いられていたそうです。
しかし、寄る年波には逆らえず、2003年ごろまでには「つやま」運用からも退いてしまったとの事です。
鉄道輸送において、早く着く事、いわゆる「速達性」というものはとても大事なのですが、砂丘色キハ58Bトレを眺めながら、ふと「ゆっくりでもいいんじゃない?」と思ったりしてみました。 ↑↑ご紹介済み車両をまとめた索引ページを設けました↑↑
ご紹介順にたどりたい方はこちらから~百々怒涛のブログ~鉄道コム
[rakuten:jism:12677377:detail]