毎度当ブログをご贔屓頂きましてありがとうございます。
オミクロン株が猛威を振るっております。大阪では一万人越えとか。
京阪神もまん防に入り、またしばらくは大人しくしていようかと。
このままではコロナ前の日常がどんなだったか忘れてしまいそうです。
改めて、今までの日常は当たり前のようで当たり前でなかったことを実感します。
あの日に帰りたい、と思いつつ、本日ご紹介したいBトレインショーティーは、ここまでさかのぼるとさすがに私自身が影も形もない時代に登場したこちらの車両でございます。国鉄 キハ10形気動車 旧気動車標準色 です。ザ・国鉄、といったオールドスタイルなフォルムが非常に好ましいです。また、この車両が落成した当初は、このような横須賀色チックな色合いだったそうです。サイドはバス窓と呼ばれる2段構造の窓が特徴で、上段の窓は嵌め殺しとなっており、下部の窓だけが上昇して開けられる構造となっています。このキハ10形とその類似系列の気動車は、この車両以前/以後で、大きな変革をもたらしました。
あんまりよくわかっていないのですが、キハ10形以前の気動車は変速方式が「機械式」と呼ばれる機構が用いられていました。キハ10形では日本の鉄道車両としては初めて「液体式変速機」を標準で搭載した気動車と言われています。気動車は編成中に電動車と付随車が混在する電車とは違い、全ての車両にエンジンがついていることが一般的です。気動車を連結して一体の「列車」として運用しようとすると、困ったことが起こります。気動車はエンジンの回転を、変速機等を介して直接車軸に伝えているため、編成を組もうとすると、各車両の推進力を合わせることが困難でした。モーターの電流・電圧調整のみで制御できる電車とは違い、燃料噴霧量の調整によるエンジン出力、クラッチの入り切り、変速機での変速等機械的に制御するものが多く、これを綺麗に揃える事は至難の業でした。しかし、機械式の歯車のみに頼らず、オイルを介した変速機構をもつ「トルクコンバーター」を搭載することで出力の差を緩衝させ、複数車両の速度を調整する「統括制御」が可能となりました。この「統括制御機構」の有無がキハ10形以前・以後の大きな違いです。この機構のおかげで、客車列車輸送に頼っていた非電化区間の長大列車を、気動車に置き換える道がついたといえます。しかし、この系列はエンジン出力の小ささから、当時の客車よりも一回り小さい車体となっており、客車列車に比べ居住性が劣っており、客車列車を置きかえるまでに至りませんでした。その役目は後進のキハ20形、55形、58形等でようやく達成されることとなります。しかし、その小型で小回りの利くところから、地方私鉄への譲渡車両が多く、南部縦貫鉄道、茨城交通、鹿島臨海鉄道、加悦鉄道等で長く活躍しました。
キハ10形の登場時の塗装を振り返りながら、現在の非電化区間の気動車列車網の礎となった車両の功績を改めて感じてみたいと思います。
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