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京阪神急行B支線

百々怒涛(どどどとー) と申します。関西モノを中心に色々なBトレインショーティーを収集しています。鉄道趣味の中でもニッチな沼に肩まで浸っております。図鑑的にご覧頂ければ幸いです。

国鉄 ED75形 交流電気機関車

いつも当ブログをご訪問頂き、ありがたく御礼を申し上げます。

東シナ海を迷走していた台風が日本列島を通過しております。

皆様におかれましては、雨・風には十分警戒下さいます様お願いを申し上げます。

本日のご紹介はこちらの車両のBトレインショーティーでございます。f:id:dododotoh:20210906191910p:plain国鉄 ED75形 交流電気機関車 です。ED75 Bトレ関西では見かけることのなかった真っ赤な電気機関車です。ED75 コンテナ駅交流電化は直流電化よりも歴史が浅く、後発で電化された路線で多く採用されました。ED75 田園 701系東日本では北海道、東北地区と常磐線の取手以北、西日本では北陸本線と九州地区で採用されました。ED75 Bトレ交流電化に合わせて国鉄ではED70/ED71形という電気機関車を製造、のちに整流器を水銀整流器からシリコン整流器に変更したEF70、ED74を改良した機体として1963年に開発されました。ED75 トラス橋1976年までに302両が製造され、交流電気機関車としては飛び抜けて多く、九州・北海道仕様の兄弟機ED76と共に交流電気機関車のスタンダード機といえるかと思います。ED75 高架駅 ジオラマそういったこともあって貨物・旅客と用途を選ばず運用されました。ED75 複曲線 ジオラマ EDのEは電気機関車を表していますが、Dの方は動軸の数を表しています。

ED75 BトレDはAから数えて4番目ですので、4軸になります。ED75 機関庫この当時すでに直流電気機関車はEF60形が製造されており、F形ですのでAから数えて6番目=6軸の機関車が登場していました。ED75 高架曲線 ジオラマ直流機・交直流機のスタンダードがF形6軸だったのに対し、交流機のスタンダードが4軸だったことにどういった意味があるのでしょうか。ED75 築堤 ジオラマ私にもよくわかっていないのですが、交流機に4軸が多い理由の答えをネットへ求めた結果をまとめると以下のようなことのようです。ED75 常磐線直流機6軸と交流機4軸のけん引力が同等と判断された。(空転を起こした時に直流機は電流のバランスが変わってしまい他の軸にも影響が出るが、交流機にはその影響が少ない)ED75 雪景色 ジオラマ交流電化区間は後発で電化された区間が多く、超大容量の貨物需要があるような場所が少ない。もし必要な時は重連で賄えばよい。ED75 車庫そういうこともあり、交流電化区間の伸長と共に4軸機が交流区間を席巻していきました。ED75 Bトレ交流電化開業と共に旅客・貨物両用としてその勢力を伸ばしてきたED75ですが、旅客運用の電車化と共に、徐々に活躍の幅を狭めていきます。ED75 機関庫残っていた貨物運用も、JR化後にEH500形の登場により、その座を追われることになりました。ED75 貨物JR貨物からは2012年に系列消滅してしまいました。ED75 カシオペアJR東日本に残った機体は、EF81の代走でカシオペア北斗星の牽引にもあたりました。ED75 郡山駅 ジオラマ現在ではJR東日本に5機の現存機を残すのみとなり、工事用臨時列車などの任についているようです。ED75 ガーター橋交流電機機関車のスタンダード機 ED75形。ED75 コンテナ駅燃えるような赤が印象的な機体を、Bトレでも愛でたいと思います。

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名古屋鉄道 5500系 マルーン+ピンク

毎度当ブログを御贔屓いただきまして、誠にありがとうございます。

9月に入り、少しだけ暑さも和らいだでしょうか。

季節の進行と共に、日が短くなってきていると徐々に感じるようになりました。

夕暮れの日を眺めるような時間帯を「黄昏(たそがれ)時」と表現します。

たそがれ、とは「誰そ彼(たそかれ)」の事で、薄暗くなって人の顔の判別がつかなくなり、尋ねなければいけない時間帯の事で、「そこにいるあなたは誰ですか?」という意味の「誰そ彼」という言葉が語源となっています。

一方の夜明け前の薄明の時間帯の事は「かわたれ時」と言い、こちらも語源は「彼は誰(かはたれ)」と尋ねるような時間帯の事を指すそうですが、たそがれに比べると圧倒的に耳にする機会は少ないです。

あかしやの金と赤とがちるぞえな

かはたれの秋の光にちるぞえな

片恋の薄着のねるのわがうれひ

曳舟の水のほとりをゆくころを

やはらかな君が吐息のちるぞえな

あかしやの金と赤とがちるぞえな

私が初めて「かわたれ時」という言葉を目にしたのが、この北原白秋の「片恋」という詩です。

詩集「東京景物詩及其他」に収められた詩で、明治42年の詩作といわれていますので、白秋24歳。

夜明け前の薄明かりの中、川沿いの道をゆく白秋が、秋の季節となってアカシヤ(ハリエンジュ)の葉が舞い散る様子を、まるで「君」の吐息の様だと感じながら、片想いの恋を思う、という情景が浮かぶような、瑞々しい詩作だと思います。

皆様もこれから訪れる秋の気配を「彼は誰時」「誰そ彼時」に感じてみるのも一興かと思います。

本日ご紹介するBトレインショーティーは、パノラマカー登場という「夜明け」の少し前、まさに名鉄の「かわたれ時」に登場したこちらの車両でございます。

f:id:dododotoh:20210817203055p:plain名古屋鉄道 5500系 マルーン+ピンク です。名鉄5500系 マルーン+ピンク特別料金を要しない車両で、日本ではじめて冷房装置が搭載された車両として有名です。名鉄5500系 マルーン+ピンク名鉄においては1955年に、それまでの吊り掛け駆動と呼ばれる旧式の駆動装置から、カルダン駆動を用いた低騒音で高速性能に優れた車両である5000系が投入されていました。名鉄5500系 マルーン+ピンクちょうどそのころ、国鉄では名古屋地区の電化が完了し、豊橋-大垣間で80系湘南電車を投入していました。名鉄5500系 マルーン+ピンクそれに対抗するように同じ湘南顔を持つ高性能車(名鉄ではSR車と呼称するそうです。)5000系が名古屋本線の特急に用いられていました。名鉄5500系 マルーン+ピンク国鉄では1958年に、こだま型と呼ばれた20系電車(→のちの151系)を登場させ、冷房装置を搭載した長距離特急として好評を博していました。名鉄5500系 マルーン+ピンクそこで名鉄も対抗するように冷房を搭載した車両を、という事で1959年に登場したのがこの5500系だったそうです。名鉄5500系 マルーン+ピンク現在では冷房は当たり前になっていますが、当時としてはデッキで仕切られておらず頻繁に扉の開閉がある車両に冷房を搭載することは画期的な試みだったと思います。名鉄5500系 マルーン+ピンクその性能おいては画期的だった5500系ですが、外観上は先に登場した5000系と比べても若干地味なデザインで名古屋鉄道のとある鉄道技術者に『夢も希望もない』とまで酷評されてしまう始末でした。名鉄5500系 マルーン+ピンク個人的には車体裾の丸まった車体デザインなど、結構悪くないデザインだと思うので、そこまで言わなくても、と思ったりします。名鉄5500系 マルーン+ピンク尚、酷評した技術者 白井 昭氏は後に名鉄7000系パノラマカーの製作に携わることになり、走行性能は5500系を踏襲しつつ、デザインを一新し、1962年にブルーリボン賞を受賞するに至ります。

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名鉄5500系 マルーン+ピンクパノラマカー登場後は、花形である特急運用を後進に譲り、急行・普通運用へと転用されることとなりました。

名鉄5500系 マルーン+ピンクこのBトレが纏っている塗色は、登場時の塗装で、ライトピンクとダークマルーンのツートンカラーで登場しました。名鉄5500系 マルーン+ピンクその後、ストロークリーム+赤帯→スカーレット+白帯という塗装を経て、おなじみのスカーレット一色という色合いに落ち着きました。f:id:dododotoh:20210817203409j:plain1990年代に入ると、本線区間をVVVFインバータ車が席巻。5500系はローカル区間の普通運用が主戦場となっていました。名鉄5500系 マルーン+ピンク 3色2000年代に入ると廃車となる車両が多くなりますが、2003年に最後に残った2両編成×3本に、マルーン+ピンク、ストロークリーム+赤帯、スカーレット+白帯のリバイバル塗装が施されました。名鉄5500系 マルーン+ピンク2005年に全車廃車となったそうですが、この塗装のまま廃車となったのでしょうか?名鉄5500系 マルーン+ピンク 犬山橋名鉄5500系登場時の姿をBトレで追いながら、地味ながらもパノラマカー登場の礎となり、名鉄各路線の近代化に貢献したその功績をたたえたいと思います。

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