いつも当ブログをご訪問頂き、ありがたく御礼を申し上げます。
東シナ海を迷走していた台風が日本列島を通過しております。
皆様におかれましては、雨・風には十分警戒下さいます様お願いを申し上げます。
本日のご紹介はこちらの車両のBトレインショーティーでございます。国鉄 ED75形 交流電気機関車 です。関西では見かけることのなかった真っ赤な電気機関車です。交流電化は直流電化よりも歴史が浅く、後発で電化された路線で多く採用されました。東日本では北海道、東北地区と常磐線の取手以北、西日本では北陸本線と九州地区で採用されました。交流電化に合わせて国鉄ではED70/ED71形という電気機関車を製造、のちに整流器を水銀整流器からシリコン整流器に変更したEF70、ED74を改良した機体として1963年に開発されました。1976年までに302両が製造され、交流電気機関車としては飛び抜けて多く、九州・北海道仕様の兄弟機ED76と共に交流電気機関車のスタンダード機といえるかと思います。そういったこともあって貨物・旅客と用途を選ばず運用されました。EDのEは電気機関車を表していますが、Dの方は動軸の数を表しています。
DはAから数えて4番目ですので、4軸になります。この当時すでに直流電気機関車はEF60形が製造されており、F形ですのでAから数えて6番目=6軸の機関車が登場していました。直流機・交直流機のスタンダードがF形6軸だったのに対し、交流機のスタンダードが4軸だったことにどういった意味があるのでしょうか。私にもよくわかっていないのですが、交流機に4軸が多い理由の答えをネットへ求めた結果をまとめると以下のようなことのようです。直流機6軸と交流機4軸のけん引力が同等と判断された。(空転を起こした時に直流機は電流のバランスが変わってしまい他の軸にも影響が出るが、交流機にはその影響が少ない)交流電化区間は後発で電化された区間が多く、超大容量の貨物需要があるような場所が少ない。もし必要な時は重連で賄えばよい。そういうこともあり、交流電化区間の伸長と共に4軸機が交流区間を席巻していきました。交流電化開業と共に旅客・貨物両用としてその勢力を伸ばしてきたED75ですが、旅客運用の電車化と共に、徐々に活躍の幅を狭めていきます。残っていた貨物運用も、JR化後にEH500形の登場により、その座を追われることになりました。JR貨物からは2012年に系列消滅してしまいました。JR東日本に残った機体は、EF81の代走でカシオペアや北斗星の牽引にもあたりました。現在ではJR東日本に5機の現存機を残すのみとなり、工事用臨時列車などの任についているようです。交流電機機関車のスタンダード機 ED75形。燃えるような赤が印象的な機体を、Bトレでも愛でたいと思います。
↑↑ご紹介済み車両をまとめた索引ページを設けました↑↑
ご紹介順にたどりたい方はこちらから~百々怒涛のブログ~鉄道コム