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京阪神急行B支線

百々怒涛(どどどとー) と申します。関西モノを中心に色々なBトレインショーティーを収集しています。鉄道趣味の中でもニッチな沼に肩まで浸っております。図鑑的にご覧頂ければ幸いです。

東武鉄道 10030系 野田線

毎度当ブログを御贔屓いただきまして、誠にありがとうございます。

桜前線は順調に北上を続け、関西でも桜が満開に近くなりました。

で、ふと思ったのですが、今満開ってことは入学式の頃はもう桜散ってるなぁ、と。

一昔前のドラマやアニメでも、入学式と桜はワンセットで表現されていたように思うのですが。

温暖化のせいなのか、それとも元から関西ってこんな感じだったのか、だんだんわからなくなってきました。

とりあえず次週までは持たなさそうなので、今日起きたら飲食抜きの純粋な「お花見」に行くつもりです。

本日ご紹介するBトレインショーティーは、桜並木のきれいな大宮公園利根運河の近くを走るこちらの車両です。東武鉄道 10030系 野田線 です。東武10000系の亜種になります。最初、私のBトレの鑑定眼が甘かったころは「何だこの緑帯がついた小田急1000系は」と思ってしまっていました。

それくらい「東武野田線」って関西ではあんまりなじみがなかったのです。通る駅は大宮、春日部、柏、新鎌ヶ谷船橋など聞き覚えのある駅ばかりなのに。どうしても都心から外へ向かう電車に乗りがちな「おのぼりさん」としては、東武野田線のような都心部の外周を巻くような路線にはなかなか縁がないのです。

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都市間輸送の幹線級の路線ですが、野田市付近にはまだ単線区間が残っているようです。また途中駅の柏駅スイッチバック構造になっていて、大宮方面と船橋方面を直通する列車は柏駅で方向転換を行います。変な構造ではありますが、もともと大宮-柏間と柏-船橋間は別々の路線だった名残だそうです。日光線の様に観光特急が走るような華やか路線ではありませんが、地域の日常を支える質実剛健な印象の路線です。野田線を含む東武鉄道は関東大手の中でも営業キロ数が長く、保有線区の中にはローカル区間も多く抱えています。昭和末期においても、旧型の足回りを流用し、車体だけ新しくした3000系列が、伊勢崎線日光線野田線等でまだ運用されていました。これらの車両を置き換えるべく登場したのが東武10000系列です。長らく増備に増備を重ね、「私鉄の103系」とまで呼ばれた8000系の後継車種になります。しかし、10000系と言えばこんなお顔だったかと思うのですが、系列名に30番をプラスするだけでこんなに印象が変わるのか、と思います。

dododotoh.hatenablog.comお顔は8000系の更新車に準じたデザインとなっています。野田線車両は一時期すべて8000系列で統一されたそうですが、老朽化が進んできたこともあり、置き換えが進んでいます。置き換え用として、野田線に10030系が2013年から投入され、帯色をえんじ色からブルーとグリーンに変え、正面には「TOBU URBAN PARK LINE」のロゴが入っています。野田線には珍しい新車60000系、そして昭和の名機8000系と共に、野田線の輸送を支える10030系に、Bトレのご紹介を通してエールを送りたいと思います。

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JR西日本 キハ120形気動車 美祢線色

いつも当ブログをご訪問頂き、ありがたく御礼を申し上げます。

私のBトレと並ぶもう一つの趣味は「パンダ鑑賞」、という事を今初めて知ったという方もいらっしゃるかもしれません。

上野動物園の双子赤ちゃんパンダ「シャオシャオ」「レイレイ」はTVでも取り上げられて有名ですが、和歌山にあるアドベンチャーワールドには現在7頭のパンダが居ます。

その末っ子「楓浜(ふうひん)」は今までお母さんパンダと一緒に暮らしていたのですが、4月上旬にとうとう独り立ち、という知らせが届きました。

パンダは群れを作らない動物ですので、子パンダは1~1歳半くらいで親離れをします。

たまにアドベンチャーワールドを訪れては、お母さんパンダ「良浜(らうひん)」にもみくちゃにされて、まるでうどん生地の様にこねられている楓浜の姿をほほえましく鑑賞していたのですが、もう見られなくなります。

まん防も明けたので、親子一緒の最後の姿が見に行ければいいなあと思っています。

記事末尾でこねられる楓浜の姿の画像をお付けしておりますので併せてご鑑賞いただければ幸いです。

本日のご紹介は独り立ちする楓浜の姿になぞらえて、単機で頑張るこちらの車両のBトレインショーティーでございます。キハ120 美祢線色JR西日本 キハ120形気動車 美祢線色 です。キハ120 美祢線色みねせん、と読みます。キハ120 美祢線色残念ながら私は乗車経験もなく、Bトレを手に取るまでは美祢線の事を考えたこともありませんでした。キハ120 美祢線色美祢線山口県の西部を南北にぶち抜くように敷設されていて、日本海側の長門市駅と、瀬戸内側の厚狭駅を結んでいます。キハ120 美祢線色もともとは美祢市にある「大嶺炭田」から取れる石炭を瀬戸内側へ運ぶために建設されました。キハ大嶺炭田は日本有数の無煙炭の産地として栄え、かつては新一万円札の人、渋沢栄一も経営に関与していたとの事ですが、いろいろ問題も抱えていました。

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キハ120 美祢線色大嶺炭田は大規模な炭田ではあるものの、山地の奥深くにあり、採鉱した石炭を運び出すことが困難だったのです。キハ120 美祢線色そうこうしているうちに日露戦争が勃発。海軍が大嶺炭田の無煙炭を練炭に加工することで、輸入に頼っていた練炭国産化するプランを思いつきます。キハ120 美祢線色そのため、大嶺炭田から、練炭製造所が置かれた徳山まで無煙炭を運び出すために引かれたのがこの美祢線の前身です。キハ120 美祢線色激しく蛇行する厚狭川を何度も渡っては戻るルートとなり難工事だったそうですが、戦時という事もあり、突貫工事で約1年で完成させます。キハ120 美祢線色やがて長門市側の路線も建設され、南北を結ぶ線が出来上がりました。キハ120 美祢線色こういった出自故に、旅客輸送よりも貨物輸送の方が盛んで、美祢線の旅客輸送量に似つかわしくない長大な信号場も設けられていたそうです。キハ120 美祢線色昭和に入っても、石炭、石灰石の輸送が盛んでした。キハ120 美祢線色しかし、時代が進むにつれ炭田の枯渇が顕著になり、次々と鉱山の閉山が増えてきます。キハ120 美祢線色そうなってからも宇部興産石灰石採集場から宇部のセメント工場までの石灰石輸送は堅調だったのですが、宇部興産美祢市から宇部市までの間に、世にも珍しい自社の輸送専用道路を開通させてしまいます。キハ120 美祢線色一説には国鉄時代の運賃の度重なる値上げや、ストライキの頻発に嫌気がさしての事と聞き及びましたが、だったら自分で作ってしまえ、と言って本当にやってしまうのはすごい事です。キハ120 美祢線色この影響は大きく、ドル箱だった貨物輸送も2014年に終了してしまいました。キハ120 美祢線色残った路線をのんびり走るのがこのキハ120形です。キハ120 美祢線色いつの日か、こういった歴史に触れながら、のんびりとキハ120形に揺られて、全線踏破する夢を妄想しながら、この記事を閉じたいと思います。

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【お母さんパンダの良浜にこねられる楓浜】

【たまに逆襲に出ますが】

【返り討ち(笑)】

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