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京阪神急行B支線

百々怒涛(どどどとー) と申します。関西モノを中心に色々なBトレインショーティーを収集しています。鉄道趣味の中でもニッチな沼に肩まで浸っております。図鑑的にご覧頂ければ幸いです。

阪堺電気軌道 501形 都電色

毎度当ブログをご贔屓頂きましてありがとうございます。

現在関西ではタブーとなっている話題があります。

それはプロ野球の某球団に関する話です。

本日時点での成績で2勝15敗。

真剣勝負を挑んでいる同士の戦績とは思えないような内容です。

根っからのトラキチだった友人も、某球団の事を口にすることは少なくなり、「セリーグ公式戦の開幕は来年の3月」「コロナのせいで今年行っていアレはオープン戦だから気にしなくていい」と主張しはじめています。

こういう時に応援を続けられるのが真のファンだと思うのですが如何でしょうか。

苦境にも見捨てずに応援を続けるファンのためにも、何とか意地を見せて欲しいと思います

本日ご紹介したいBトレインショーティーは、黄色い虎色?に変身した根っからの大阪っ子車両でございます。阪堺501形 都電色 Bトレ阪堺電気軌道 501形 都電色 です。阪堺501形 都電色 Bトレ阪堺電気軌道は、文字通り大阪と堺を結ぶ路線で、大阪に唯一残った路面電車です。阪堺501形 都電色 Bトレ阪堺線上町線の2路線を有しています。阪堺501形 都電色 Bトレ堺側の終着「浜寺駅前」停留所から、住吉停留所で分岐して恵美須町方面と天王寺駅前方面に分かれていきます。阪堺501形 都電色 Bトレ恵美須町停留所は、関西のオタクの聖地「でんでんタウン」の南側の玄関に近くなっていますが、近年100mほど南に縮小移転しましたので、でんでんタウンへは地下鉄堺筋線恵美須町駅の方が、圧倒的にアクセスが良くなっています。阪堺501形 都電色 Bトレ今回のご紹介は501形と呼ばれる形式の車両です。阪堺501形 都電色 Bトレ以前のご紹介の161形に比べると、随分新しくなった印象ですが、登場は1957年と結構古いです。dododotoh.hatenablog.com

阪堺501形 都電色 Bトレ当時は阪堺線南海電鉄の一路線として位置づけられており、南海の車両としてデビューしたことになります。阪堺501形 都電色 Bトレ現在は南海とは経営分離されていますが、南海グループであることに変わりはありません。阪堺501形 都電色 Bトレ当時まだ残っていた木造の車両を置き換えるべく、製造された形式です。阪堺501形 都電色 Bトレ大きな正面窓が印象的なデザインです。阪堺501形 都電色 Bトレ後に冷房化・ワンマン化にも対応し、現在の運用にも耐えうるようにメタモルフォーゼをしております。阪堺501形 都電色 Bトレまた、阪堺電車においては、ラッピングという技術がない頃から、車体にペイントによる広告塗装を施すことが良くありました。阪堺501形 都電色 Bトレ故に本当の基準の塗装がどんなだったかが今ひとつよくわからなくなるという現象が良くありました。阪堺501形 都電色 Bトレこの塗色は2010年頃に、南海グループ東京都交通局が共同キャンペーンを行い、ユニフォーム交換ならぬ塗装交換を行った際、502号機が纏った塗色となります。阪堺501形 都電色 Bトレ都電に阪堺色を纏わせることとの交歓で、この502号機が都電が纏っていた黄色地に赤帯といういでたちで、しばらく活躍しました。阪堺501形 都電色 Bトレ路面電車はどの会社の車両も形状が似通っているため、この塗装を見ても違和感なく溶け込んでいるように思います。

dododotoh.hatenablog.com

阪堺501形 都電色 Bトレ現在ではこのような色合いではありませんが、登場から65年、まだ5両全車が現役で、161形が夏場お休みするのとは対照的に、フル勤務で阪堺間の輸送を支えています。阪堺501形 都電色 Bトレ登場から65年という年数、大阪と堺の街の変遷を見続けてきた阪堺線の生き字引として今後も活躍を続けて欲しい車両です。

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JR東日本 165系 新ムーンライト色

いつも当ブログをご訪問頂き、本当にありがとうございます。

ここのところ、当ブログのアクセス数が伸び悩んでおります…。

ま、あんまり変化のない画像が並んでいるので仕方ないか、お金かけて新しいストラクチャーを導入したらどうなるのかな…、等ともやもや考えておりました。

先日、おうちの近所に散策がてら飲食抜きの純粋な「お花見」に行ってきました。

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ちょうど見ごろで満開近かったので、とてもきれいでした。
で2年前を思い返せば、このお花見の時期はちょうどコロナの緊急事態宣言の初回が出ていて、外出できないという極端な状況でした。

そんな時に咲いた桜は、どんなにきれいに咲き誇っても、だれにも見てもらえず散っていったんだなあ、と。

今年もまだ、桜の下でお弁当を食べるようなことはできませんでしたが、こうやって桜の花が見られるだけでも幸せ。

そうやって考えると、もともとこのブログも、誰にも見てもらえずに延々と作っては仕舞われてゆくだけのBトレ達が不憫で始めたもの。アクセスの多寡は問題ではなく、こうして御覧になって頂ける方が居てくださるだけで十分幸せ。

桜の木を眺めながらそんなことを考えていました。

というわけで本日も一切変わり映えしませんが、夜が似合うこちらの車両のBトレインショーティーをご紹介させて頂きます。JR東日本 165系 新ムーンライト色 です。「ムーンライト」とはJR各社が運行していた、特別料金不要の夜行快速列車の愛称です。個人的に親しみがあったのは「ムーンライトながら」で、昔の大垣夜行の流れをくむ列車でした。古の夜行急行・特急「月光」にちなんで命名されています。

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青春18きっぷで利用できる長距離列車として、学生の貧乏旅行の強い味方でした。ムーンライトの起源は、国鉄時代にさかのぼり、新宿-新潟間に設定されたのが始まりとされています。その当時は高速網の延伸に伴い夜行長距離バス網が整備されはじめ、国鉄のシェアを脅かす存在となっていました。そこで、試験的に運用された列車が「ムーンライト」で、EF64と14系座席車3両でスタートしたそうです。この列車が好評を博したため、長期休暇時や週末等に臨時の快速列車として運用されるようになります。その際に投入されたのが、当時急行列車の衰退で運用を持て余していた165系です。165系は国鉄型急行電車の祖、153系の後継車として登場しましたが、高度成長期を迎えた日本では、通勤輸送で使うには2扉デッキ付きは使いにくく、かといってボックス型の固定クロスシートの接客装備では特急用車両程の居住性を見いだせなくなっていました。

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徐々に波動輸送用にシフトしたり、ジョイフルトレインへの改造車が出るようになっていました。ムーンライトへの投入に当たっては廃車から出たグリーン車用のシートに換装され、シート間の広さを広げる等の改良がなされました。こうして登場したのがムーンライト用の165系です。ムーンライトは後に大垣夜行が「ムーンライトながら」と命名されたことを受けて、元祖ムーンライトは「ムーンライトえちご」と名を変えました。この塗色は後期に改造された車両が纏っていたそうです。蛍光色のような黄色と緑の帯が印象的で、いい色合いではないでしょうか1987年に165系が投入されて以降、ムーンライトえちごの運用に就き続けましたが、車齢を重ね走行距離が延びると、老朽化が進んでいきました。2003年、寄る年波に勝てず、後任を485系に譲り、この塗色を纏ったまま引退しました。165系の中でも、定期運用を持ち、最後まで急行形らしい活躍ができた車両かと思います。

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ムーンライト色のBトレを眺めながら、今は昔となった「夜行普通・快速列車」がまだ元気に鉄路を駆けていた頃を偲んでみたいと思います。

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