いつも当ブログをご訪問頂き、ありがたく御礼を申し上げます。
緊急事態宣言が関東圏でも解除間近。
とは言え不要不急の外出は控えねばなりません。
…。
でも、我慢が出来ずに行ってしまいました。
赤ちゃんパンダ「楓浜」に会いたくて…。
先週から公開が始まり、ダメ元で応募した観覧の抽選に当たってしまったため、歯止めが効きませんでした。
公開は密を避けるため抽選に当たった少人数のグループに分けておよそ4分だけの公開。
ああ、かわいい…。
寝ていることの多い赤パンですが、奇跡的に起きていてくれました。
また今度いつ来れることか。暫く我慢が続きますが少しだけでも会えたのでなんとか乗り切れそうです。
本日のご紹介はパンダラッピング車も走るこちらの会社の古豪車両のBトレインショーティーでございます。
阪堺電気軌道 161形 黄ライン です。
昭和中期までは南海電鉄の一路線という立ち位置でした。
現在の阪堺線・上町線の他に「平野線」が路面線として運用されていました。
平野線沿線の宅地化で鉄道高速化の必要に迫られ、大阪市営地下鉄の谷町線が南海平野線と並行するルートで延伸され、平野線は廃止されました。
そのタイミングに合わせて、南海は残る路面2路線の運営を行う会社を設立し、事業を譲渡しました。
こうしてできたのが現在の「阪堺電気軌道」です。
本日ご紹介の161形ですが、製造年は昭和3年(1928年)。これで現在でも運行されているのは驚きです。
このブログをご覧頂いているほぼ全ての方がまだ生を受けていないころから活躍していることになります。
この161形は阪堺電気軌道の生き証人とも呼べる車両です。
元々は南海の車両として製造されました。
その後日本は太平洋戦争に突入する中、戦時体制下でそれまでに乱立したバス・鉄道会社の整理統合が進みます。
南海も近鉄の前身である関西急行電鉄と合併し、「近畿日本鉄道」が誕生、この161形も僅か3年程ですが「近鉄電車」だった時代を経験しています。
終戦後、路線のつながりもなく、無理やり近畿日本鉄道にまとめた旧南海の路線は、現在の南海高野線を運営していた高野山電気鉄道が改称した「南海電気鉄道」へ譲渡され。161形は再び「南海電車」となります。
その後は冒頭に申し上げた南海平野線の廃止と共に「阪堺電気軌道」が誕生、晴れて現在の「阪堺161形」となるわけです。
現在でも4両が現役です。
車体の構造上、冷房装置を屋根上に置けなかったため、非冷房のままとなっております。
そのため、現在の運用は夏季を除いた秋から春までの運用となっているようです。
この黄帯塗装は昔あった塗装の様ですが、オリジナルはいつ頃どこに走っていた、というような情報は調べきれませんでした…。
2010年頃に、復刻塗装として164号機が纏ったようで、その再現がこのBトレになろうかと思います。
こういうレトロな車両が最新鋭「堺トラム」1001形や、現時点では日本で一番高いビル「あべのハルカス」の脇に居るのは何だか不思議な感覚に襲われます。
今も大阪の下町を走る昭和一桁生まれの阪堺161形。
今後も現役を続けて、定期運用を持ったまま是非「100周年」を迎えてほしいと期待させる車両です。
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