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最近の私のルーティーンの一つに、「月曜23時にBS-TBSの『町中華で飲(や)ろうぜ』を見る」というものが組み込まれました。
浅草キッドの玉袋筋太郎さんがチェーン店ではない個人経営の中華料理屋へ飛び込みで入って、その店の自慢の料理をアテにお酒を飲む、という番組です。大型ショッピングモールに背を向けて、商店街に潜り込んで、老舗の豆腐屋や本屋で聞き込みをしつつ個人経営の町中華の名店を探すところから、生粋の江戸っ子玉袋ワールド炸裂でついつい見入ってしまいます。www.bs-tbs.co.jp
また、店主との掛け合いで面白フレーズを挟みつつ、お店へのリスペクトを忘れないのも見ていて気持ちが良いです。
大昔、大阪で「ABCラジオパラダイス」という深夜ラジオの火曜日パーソナリティをされていた頃からの浅草キッドのファンでしたので非常に楽しく視聴させていただいております。
関西に来てくれねえかな、と思いつつ、本日ご紹介したいBトレインショーティーは玉袋さんが番組で訪れた品川や川崎をかつて疾走していたこちらの車両でございます。
京浜急行電鉄 1000形(初代) 非冷房 です。
京急といえば、で一番先にこの形式が思い浮かびます。
安定の京急顔って感じるのは、あくまで個人の感想です。
京急史に残る名車中の名車と言えるのではないでしょうか。
都営地下鉄 浅草線への乗り入れを目的として製造され、長きにわたり活躍した車両です。
片開ドアと四角い標識灯などが、南海6000系、7000系を彷彿とさせ、関西人的にもどこかなじみのあるいでたちに思えます。
当初は非冷房で登場した、というところにこの1000形(初代)の歴史に深さを感じます。
初期型は、隣の車両のような非貫通タイプで落成したとの事ですが、地下鉄乗り入れ対応が可能なように貫通路をつける改造が施されたそうです。
1959年から約30年にわたって製造され、1960年から2010年の運用離脱まで、50年もの間京急の路線で活躍し出来たのも、名車の証と言えるかと思います。
正面のお顔も凛々しいです。下部にはアンチクライマーと呼ばれるギザギザがデザインされています。
もともとは衝突時にアンチクライマー同士がかみ合う事で、一方の車両がもう一方の車両の上に乗り上げて被害が拡大するのを防ぐバンパーのような役目があったそうですが、保安システムが機能していた時代に製造された京急初代1000形のそれに、バンパー的役目を求めたかどうかはよくわかりません。。
現在では、高松琴平電気鉄道、通称「ことでん」で譲渡車が元気に活躍中です。京急カラーのリバイバルラッピング車があるそうですが、実物を見に行けていません。
この姿が京急カラーになっていると思うだけでも興奮してしまいます。
皆様のブログで取り上げられた画像をみると、やっぱりこの京急カラーの色合いがしっくりくる、と感じるのはきっと私がおっさんだからなのだと思います。
350両を超す製造数を誇り、長年にわたり京急路線で愛されてきた1000形(初代)。
登場時の非冷房姿を愛でながら、その実力と功績を讃えたいと思います。↑↑ご紹介済み車両をまとめた索引ページを設けました↑↑
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