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年齢を重ねるとだんだん涙もろくなる、と一般的には言われております。
昔、父親が時代劇なんかを見ながら目を真っ赤にしているのを見て「単純やなぁ」とか思ったりしていました。
自分もそれなりに年齢を重ねてくると、徐々に涙腺のパッキンのシール性が悪くなってきて、少しずつその症状が出てきました。
今になって思うのは、涙もろくなる、という事は、重ねられる自分自身の経験が増えてくる、そうなると見えなかったものが見えきて、気持ちが重なってくる、という事なのだと思います。
そう考えると、年齢を重ねることも、あながち悪いことでもないのかな、と思ったりします。
本日のご紹介は、今まで見たことがなかったこちらの車両のBトレインショーティーで、いまいちよくわかっていなかった関東の鉄道への理解を深めたいと思います。東葉高速鉄道 2000系 です。関西人の私にとっては、Bトレを手に取るまではなじみのない鉄道会社でした。西船橋から東葉勝田台の16kmあまりの路線を持っております。色々調べているとわかってきたのですが、もともとは帝都高速度交通営団(営団:現東京メトロ)の路線として計画されていたとの事。
東京周辺でも人口増加が激しくなった1970年代に、京成本線のバイパスとして船橋市や八千代市などが営団の東西線を延伸してほしいとの陳情を行った結果計画されました。が、バイパスを引かれたのではたまったもんではないのが京成です。京成の反対や、営団そのものが東京23区内を営業区域としていたのに、千葉県深くまで延伸するのか?という問題もあり、一旦沙汰止みになってしまいます。その後、1980年代にこの計画が復活した際に、営団ではなく地元自治体の出資による第3セクターが主体となり、そこに京成も加わる形でできた会社が東葉高速鉄道となったそうです。出自の名残なのか、東葉高速鉄道線は東京メトロ東西線に乗り入れ、運用もほぼ一体の扱いのようになっています。東葉高速2000系は、それまで唯一の形式だった1000形を置きかえる目的で製造されました。1000形は元東京メトロ5000系を改造した車両でしたが、5000系とは違う独特の全面デザインを持っていました。東葉高速1000形はBトレ製品化しておりませんので、この記事では似た雰囲気の相鉄新7000系の旧塗装車両を以て代用しております。2000系は東京メトロ05系13次車と共同開発されたため、ほぼ相似形をしております。Bトレ的にはほぼ『色違い』という扱いなのでしょうが、実車では細かな差があります。東葉高速2000系はJR総武緩行線の乗り入れには対応しておらず、東西線中野駅以西には基本的に入線しなくなっているそうです。逆に総武線車両も東葉高速線には入線せず、相互を行き来するのは東京メトロの車両のみ、という事のようです。個人的には過去には東西線を利用する機会もあったのですが、東葉高速鉄道車両の存在には気づかず…、今回しっかりお勉強させて頂きました。東葉高速鉄道車両を選んで乗車することは難しいかもしれませんが、今後はしっかり注意してみていきたいと思います。
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