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毎週新型コロナウイルスの事を話すのに随分嫌気がさしてきているのですが、今週触れずにはおられないのが、志村けんさんの事です。
押しも押されもせぬ、日本を代表するコメディアンです。
関西の大御所と呼ばれる(以下敬称を略します)明石家さんま、ダウンタウン、笑福亭鶴瓶等のコメディアンと大きく異なり、一種異彩を放っておられた方でした。
異なる点を挙げればキリがありませんが、代表的な事を2つばかり言えば1つ目は「音楽をルーツとする事」。
関東の、特に昭和に活躍されたコメディアンの方にに多い特徴で、「ハナ肇とクレイジーキャッツ」が代表的なところで、清水アキラの居た「ハンダース」やグッチ雄三、モト冬樹、ウガンダトラ等の「ビジーフォー」、「ドンキーカルテット」の小野ヤスシ、コメディアンと言ってよいか悩みますが「スパイダース」の堺正章や井上順等、枚挙にいとまがありません。
勝手に邪推すると、東京のお笑いがバンドライブの中から発展してきたと推測することができるかもしれません。
タモリはバンドとしての活躍はありませんが、バンドの付き人経験があり、ビートたけしは後にバンドを組んで曲を出したりしているところを見ると関東の笑いと音楽は切り離せない関係である気がします。
もう1点は「動きが主体であること」。
現在のお笑いは「トーク力」や「キラーフレーズ」によって成り立っており、話の構成力やワード選びのセンスが問われているように思います。
一方志村けんさんの笑いは、フレーズの面白さよりも、あくまで動きが主体ではないか、と感じます。
「アイーン」や「変なおじさん」他代表的なギャグには全て動きが伴っています。
バンドライブ、あるいは「8時だョ!全員集合」等の生舞台でのお笑いを突き詰めた方なので、会場の端まで笑いを届けるための手法だったのかもしれません。
そういう所から、音楽をルーツにもち、長年舞台で生の笑いを提供してきた独特の世界観を持っておられました。
もうこのような出色の才能を持った方は出てこないかもしれません。
まだお若く、これからも活躍できた方なのに残念でなりません。
時を戻せるなら、背後から忍び寄るコロナの脅威に「志村~!、うしろ、うしろ!」と言って気づかせてあげたい…。
志村けんさんのご冥福をお祈りすると共に、これ以上コロナで亡くなられる方が増えないように祈るばかりです。
本日は志村さんの死によって、また遠くなった昭和を思いつつ、こちらのBトレインショーティーをご紹介いたします。
江ノ島電鉄 500形(初代) です。
初期の製品の様で、連接車の表現が粗いです。
江ノ電はもともと軌道法に基づき、路面電車の規格で整備されました。
プラットホームは低く、単車で輸送では多客時に対応できない為、地方鉄道法による鉄道線への変更を行います。
2両編成化で1列車当たりの輸送力を増強すると共に、プラットホームのかさ上げなどを行いました。
その変革の象徴となる車両が、1956年に導入されたこの500形(初代)でした。
機器は台車を流用する等行いましたが、車体は新造されました。
車体のデザインはイタリアの特急列車の外観を模したともいわれ、流線型を取り入れた非常に美しいデザインでした。
また、当時珍しかった両開扉を採用し、車内設備もテープレコーダーによる自動放送やカバー付き蛍光灯、一部クロスシートを採用する等、非常に意欲的だったことが伺えます。
登場時の姿はこちらでご覧になれます。
しかしながら、時代の変遷のなかで、機器更新や各種改造を受けるうちに風貌はずいぶん変化致しました。
このBトレは、両開き扉は片開き化し、前面窓も5枚窓化した500形の末期の姿を再現しています。
それでも前面の流線型は登場時の面影を残し、ファンに人気の高い車両だったそうです。
しかしながら、車体の構造上懸案だった冷房化に対応できず、惜しまれつつ2003年1月に運用を離脱いたしました。
江ノ電の近代化の象徴であり、フラグシップ車両として親しまれた江ノ電500形。
この丸っこい姿は日ごろ慣れ親しんでいない関西人の私でも、どこか懐かしさを覚える良い車両だと思います。
志村けんさんの思い出と共に昭和を今一度懐かしんでみたいと思います。↑↑ご紹介済み車両をまとめた索引ページを設けました↑↑