毎度当ブログをご訪問頂き、厚く御礼申し上げます。
Google砲、ってお聞きになったことはありますか?突如Google経由のご訪問者が大量にやってくる現象です。
サイトでも過去数度ありましたが、先週の記事で3年ぶりくらいにGoogle砲がやってきました。
でも、珍しいのは記事公開してから3日以上経過してからやってきたことと、過去の例は効果が48時間程度だったのに対して、中程度の効果が長いというのが経験のないことでした。
ありがたいことにこんな記事の途切れがちなサイトにご訪問頂けて、改めて感謝を申し上げたいと思います。
本日はこちらの車両のBトレインショーティーをご紹介いたします。
京阪電気鉄道 1900系 新製非冷房車 特急色 です。
私の好きなフォルムの車両です。
1900系は特急用車両として、1962年に登場しました。
厳密にいえば、1900系はこの時に新造されたものと、少し前に特急車両として登場した1810系からの編入車に大別されます。
車体長や性能が近いことから、共通で運用されていたようなのですが、見た目が違いすぎて一緒の形式とは思えない感じです。
この1900系は、京阪本線が、悲願の大阪市内中心部乗り入れ「淀屋橋延伸」を成し遂げた際のフラグシップ機という意味合いがありました。
先に登場し話題となった高加減速性能を誇る「スーパーカー」2000系のデザインを踏襲し、特急車としての矜持を示すかのような飾りバンパーが設けられました。
乗り心地を重視し空気ばね台車を装備し、2扉クロスシートの内装、もちろん伝統のテレビ搭載、という気合の入った仕様になっています。
オレンジ色とえんじ色のツートンカラーは京阪特急車ならではの塗装です。
5両・6両編成で特急として運用されたそうです。
京阪特急ここにありという存在感を感じる佇まいです。
1971年に、名車3000系が登場し、1900系を補完する形で特急列車の増発に充当されます。
しかし、翌1971年に特急車両を3000系に統一する方針が示されます。
1900系は通勤車両に格下げになり、1973年に定期特急運用からは退いてしまいました。
格下げにあたり、2扉→3扉化やテレビの撤去、塗装の変更などがなされました。
しかし、ここからが京阪電鉄の恐ろしいところです。
600V→1500Vへの昇圧や、冷房化などの変化の波が襲うたびに、1900系は改造を受け、残っていきます。
1900系は宇治・交野線を主戦場として21世紀になっても運用が続きました。
その後本線系統にも復帰、異例の長寿を保ちました。
1900系から特急運用を奪った3000系が、1900系よりも先に京阪の鉄路から去った後も、運用され続けたことは特筆に値します。
最後まで残った2編成は、2008年末まで現役を続け、敗者となり現存する編成はありません。
京阪特急史に名を刻む1900系。
その登場時の姿を、今一度Bトレで愛でたいと思います。
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